仕事好きなわたしのブログ

仕事にまつわる様々な問題やヒントを書いています

どこで、誰と、どう働くのか?、が人生を作る

「よーし、GWこそ読書するぞー!」

今日はこの本。

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

ドキッとするタイトルと、
戦国のような表紙絵で、

「買う本間違えたかな」

と不安になった(笑)。



以前読んだ

ミライの授業

ミライの授業

の筆者なので、続けて購入。「本業はエンジェル投資家」だとの賜る、京都大学の教授である。この本はチームアプローチについての本。

まだ途中なのだが、ビビッドな文章に出逢ったので、書いておきたい。


【目次】

1 人生を誰とどこで過ごすのか?の問い

「これから60代、70代になっても働き続けることが普通になるだろう。その長い時間を、自分の成長に資する仲間とともに働くか。それとも、「ゴマすり」と言っては語弊があれば「社内調整力に長けている」だけの尊敬できない上司や、夢は語れども実現しようとする志はない同僚とともに過ごしていくのか。それによって、人生の意味合いは、天と地ほど違っていくだろう。」


最近になって私は、「多くの人間はなぜ一つの職業にしか身をおかないできたのだろう」という疑問を持つようになった。

一つの会社や役所で定年まで働く人や、職場は変えるが同じ職種を一生貫く人たち。そういう人たちが多いし、そういう生き方は礼賛されがちだ。

しかし「勿体無くないか??」と素朴に思う。
そして、「人間は一つのことしかできないんだっけ?」と思うのだ。


銀行に入社したからといって、その人の才能が金融の事しかないわけではない。他の全く違うことへの才能もあるはずだろうが、職業としてそれを選んでしまうと、他のことはやれても趣味程度、もしくは全く諦めてしまったりするだろう。

人間は、マルチとまでは言わないが、もっと多彩なんじゃないのかなって、思うのだ。

もしそうならば、何十年も一つの組織や職種に自分を閉じ込めて生きることはなんと窮屈で勿体無いことではないだろうか?

身を置くところに適応して生きていけばいくほど、そこの文化や価値観などが否応なしに自分にも浸透していってしまい、いつしか、話し方や姿勢だけで職業がわかってしまうくらいになってしまう。

2 「そこで長く働く」ことの自分への影響


それもいいのかもしれないけれど、そうでない生き方もあるといいのに、と最近思う。もっといろいろなところに身をおいて、自分の持つ多彩な側面を開花させることができたらどんなに楽しいだろうと思うのだ。


「人間は合理的に動いていない組織に長期間属していると、物事をロジカルに考える能力が確実に低下していく。そういう組織に順応すればするほど頭が悪くなり、組織に順応することができなければ精神を病むことになる。順応しきってしまった人は自覚症状を持つことができないまま、言い訳能力と自己欺瞞力だけが向上していくのである」


この指摘は痛いほどだった。

かつて自分もそうだったし、今もそういう人に出会う。
適応した組織の一員になればなるほど、自分個人の思考が薄まってしまう。「どう思う?」と聞かれても、組織が求めるような正解が自分の意見だと思って疑わない。

端的にいうと「つまらない」人間になってしまっているように感じるのだ。

3 いじめられても組織にしがみつく同僚

2年ほど勤めているある職場で(私はパラレルワーカーだ)、同僚間のいじめのようなものが起こっている。

私はそれを上の方に訴えた。「対処する」と言ってくれたのに、半年経っても一年経っても何も起こらない。

その間に、いじめられている側の同僚はすっかり自己肯定感をなくし、コントロールされやすくなってしまった。いじめる側は(全くその意識はない)、どんどん態度が尊大になっていく。


最近になって、ようやく私の訴えに上が理解を示し始めた。

それにしても、なぜ?

それは、いじめる側の彼女が制御不能になり、上の方々にも不遜な言動を始めたからであった。つまり、上の方々にとっては「自分に害が及んできたから」だったのだ。
かといって、何もするわけでもない。相変わらずだ。

だから私はいじめられている彼女に転職を勧めた。脱出しないと、彼女自身が変えられてしまうと危機感を感じたからだ。

しかし、転職をよしとしない彼女は耳を貸さなかった。貸さないでいるうちにすっかりと暗い人間になってしまった。彼女の論理によると「転職=ダメな人、一つのところで続く人=立派な社会人」なのだそうだ。

4 働き方は生き方


1で紹介した筆者の文章がまさに彼女に考えてほしい点だ。何を犠牲にして、何を得ているのか。私から見れば何も得ていないのに、彼女の良さや才能は全く発揮させてもらえないのに。


働き方は生き方だと私は思う。私は、定年の年になるころ、または、もう働けないと思う年齢に達する頃、「ああ、充実した人生だった」「ああ、面白かった。十分に楽しんだ。」と思いたい。

そのためには、「誰と」「どこで」「どのように」働くのか?については、主体的でありたい。世間とか、周囲とかが評価するためにではなく、自分が満足できるために。