仕事をしていると「これ、不要なんじゃないか?」と思うことが出てくる。
自分としては無駄だと思うんだけど、どうやら組織としては(?)必要なのだそうで、不思議でならない。
例えば会議だ。
私が属している組織にもいくつかの会議が存在する。
そのほとんどは私は不要、もしくはもっと効率的な方法があると思っている。
例えば定期的に開催される会議。
2週間に一度それは開催される。
内容は、重要事項の決定な意味がわかるが大抵は周知だ。
しかもそのための事前の会議、というものまであり、
「え?この会議と、本番の会議の何が違うの?」
って私はいつも思う。
しかし、メンバーたちはいつも真剣な表情で参加している。
「え?それってまだ終わってなかったの?」
ってことを今週も提示してくる。
小さな部分の修正を議題に乗せてくる。
私から見れば、そこは担当チームであらかたやってしまっておけばよいようなことばかりである。
「今週もこの協議なのか・・・」
と無意味感にげっそりする。
そこで、なぜそんな無意味な会議に皆が真剣に参加するのか観察してみた。
そのことでの私の結論は、
「無意味な会議は承認欲求の強いメンバーのやってますアピールの場なのだ」
ということだ。
どうりで、何度も同じことを議題に乗せ、いかに自分がそれに真っ当に取り組んでいるかを熱弁する。
そして、次回も同様なことが展開されるのだ。
でも、申し訳ないがそれらのほとんどのことは大した難易度ではないのだ。
その結論に至ってからは私はその会議への出席を免除してもらっている(笑)。私の出席が必要な場合にだけ参加することに取り決めた。
もちろん、この結論をぶつけて「サボらせて」と言ったわけではない。なぜ私が免除に到達できたか内緒にさせていただく(笑)が、知恵をしぼれば可能だということもわかった。
その会議に割かれる時間は、1日7時間の中で3時間。
意味のない(と言うと言いすぎだけど)会議に労働時間の半分近くをもっていかれることのデメリットについて、組織はもっと責任を持ったほうがいいと常々考えている。
会議していること自体が「仕事している感」と錯覚させているような気もする。しかし、彼らの会議はほとんど何も生み出していないと私は感じている。
組織は何かの目的のために人件費を支払っている。それならば費用対効果とかコスパとか、もっと真剣にチェックしてはどうかと思うが、言いすぎだろうか?
今日も私は会議をサボる(笑)。
そして、私の職務に邁進する。
限られた時間の中で最大限の仕事をしたい。
#無駄な会議 #費用対効果 #効率性 #承認欲求