仕事好きなわたしのブログ

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組織の中の「内の人」「外の人」 ー 能動的な非正規労働のススメ

非正規労働者は今や全体の4割

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非正規労働者の割合は年々増加しており、今や4割に近づいている。

組織の中の半数近くが非正規なのだ。

時給単価は雇用のされかた(派遣社員契約社員・パート・アルバイト…)によって様々だが、時間数の制約や、半年や1年の契約であること、繁忙期でない時期は不規則勤務となることで、その月は収入が落ち込んでしまったり、と、不安定さがつきまとう。

「非正規ってこういうことか」と感じる時

待遇面の理不尽さもあることながら、私が感じる一番の「非正規ってこういうことか」と思う点は、

結局は仲間じゃないってことか


である。


通常は正社員、非正規、関係なく協力しあって仕事を進めているだろう。「仲間でない」なんて感覚は意識にはのぼらないが、それは「いざ」という時や、正社員にとってはごく当たり前のシーンに突然痛感させられる。


▶︎例えばボーナスの時期。


職場ではボーナスの支給日や額について、社員どうしが期待を込めて楽しそうに話している。いつものなんでもない会話になら仲間として入っていけるのに、その話題では入っていけない。
見えない線があるように感じて、自分の席で居心地悪くパソコンの画面を見つめて時が過ぎるのを待つ


▶︎例えば、配られる書類。

あ、これは社員だけです
そう。それは普通のことなのだ。
でも、普段ほとんどのことをともに行っているだけに、そんな至極当然である区別にあたらめて「あ、そっか。違うんだっけ」と、自分がそこで一人ぼっちのような感覚を一瞬感じる


▶︎例えば、リーマンショック

私はその頃、派遣社員としてある企業で働いていた。しばらくしたところで、社員として迎えたいというありがたいお話をいただいた。それがいよいよ本格化していこうとしていた矢先、リーマンショックの嵐がふきあれ、私はあっけなく派遣契約終了となった。もちろん、私だけではない。その時は大半の派遣社員が雇い止めになった。
しかたのないことだったのかもしれないし、今ではそれでよかったと思える道を歩んでいるのだが、その時の私には世界がひっくり返ったくらいのショックだった。


それは、
前の週まで「正社員にするよ」と言われていたのに、次の週は「派遣として終了」という扱いをされたことに、人として強く否定された気分になったのだ。

いざという時の安全弁

突然の不景気という危機に、組織は「内」なる正社員の暮らしを守るため、「外」の人間であった派遣を切り離す。つまり、そのために組織には「うち」の存在と「外」の存在がいるのだ、と痛感させられた。


通常、家族や地域、友達といった関係性では危機をともに乗り越えようと努力する。だれかを生け贄として排除することで自分達だけ助かろうなんて、(あったとしても)露骨にはない。

しかし、働く場ではそれは公然とあり、いざというときのための人員がいるのだ。


以前、派遣会社側の人間として派遣先企業の重役と話していたとき、「派遣制度って、誰のためにあると思う?」質問された。

私は、派遣会社は多くの派遣社員に雇用を送出しているという自負を持っていたので「派遣社員のためです!」と答えた。

その人はくすっと笑い、「企業のためにあるんだよ。」といった。


その時私は意味がわかっていなかった。
時が流れて自分自身が派遣社員として上記のリーマンショックにかかる雇い止めを経験してみてはじめて、その意味を実感したのである。

機能としての「内」と「外」


その人員を内包し、普段はその区別など感じさせずに企業利益のために機能させる。しかし、危機発生時にはその「うち」と「そと」の、秘められた機能がいかんなく発揮されるのである。


それでも私は非正規労働者だ。理由はいくつかあるが、自分なりにメリットも大きく感じているからだ。そして、あの時のことを教訓に、自分自身でのリスクマネジメントを意識しながら受け身ではなく、自律的に組織選びや転職のタイミング、力量形成をプランニングしている。


これからも非正規労働の割合は増え続けるだろう。ならば、受け身ではない非正規労働のあり方も確立されていくといいと考えている。有期雇用であることを最大限に活かすという考え方を持つといいと考える。(このことについては、後日具体的に書こうと思っている