全豪優勝した大坂なおみ選手。
私はこの選手が大好きだ。
テニス自体はさほど興味ないのだが、ジャンルを問わず「プロ意識」で遂行していく人物には強い尊敬の念を持つ。
私にとって大坂選手もその一人だ。
【目次】
全豪オープン優勝でのコメント
あと一点で優勝、というところで相手選手に猛追され追い込まれた大坂選手。トイレ休憩で自分をリセットし、コートへ帰ってきた。そこからの復活、優勝。
後に彼女はこうコメントしている。
「色々なことに興奮したり動揺したりする人がいますよね。それは非常に人間的なことです。でも私はそういうことに自分のエネルギーを無駄遣いしたくないと、そう思うことがあります」
「今日の第3セットでは、文字通り自分の感情を消そうとしました。ぽっかり穴が空いたような感覚だった。ロボットみたいに」
「私は、命令の通りに動いていただけです。ある意味、私がこれまでの人生でずっと練習してきていたことを、実行に移していただけ」
<上記のBBCニュースより抜粋>
私はこのコメントを朝のニュースで聞いた。もっと簡略化した言い回しだったが、その時、心地よい衝撃を受けた。
私は常々、仕事を全うすること、自分にできる範囲での最高の仕事をしたいと思っているが、どうすればそれに到達できるのか?について考えている。そして、最近頭から離れなかったことが「仕事における感情」の問題だったのだ。
仕事なのに「感情」で自分の立ち位置が見えなくなる人
私がコンサルしている方で、とても感情豊かな人がいらっしゃる。
とても「いい人」で、「誰かの助けになりたい」と、純粋に思って行動しておられる。私も個人的には共感できる人柄なのだが、「仕事」となると困った事態を引き起こしがちなのだ。
ご自分が支援者として対象の方に肩入れしすぎてしまうために、協力しあうべき相手を「敵」にしてしまっている構図に気づかず、結局は対象の方が利益を得難くしてしまうのだ。
彼女はそれまで「支援」=「味方になること」と思い込んでいる。そして、そこに感情豊かにコミットすることを「美德」と信じてきたのだろう。
しかし、
仕事には対価としての報酬が支払われる。
彼女の仕事は正義の味方となって、特定の人を「悪」と見なし、やっつけることではない。
対象者にいかに支援環境を構築するか、が仕事なのだ。
この日の彼女の相談は、その協力すべき相手との交渉をどう進めたら良いか?であった。
「明日は乗り込んでいこうと思っています!」
と、相手方に喧嘩をふっかけそうな鼻息の荒さであった。
「感情」を切り離して「仕事」をする
私は彼女に「あなたは中立でなければいけないんだよ」と伝えた。
彼女の顔がさっと変わり、険しくも悲しそうな、混乱したような表情になった。
こういう時、コンサルしている側の私も感情が揺さぶられる。悪いことを言ってしまったのではないか、機嫌を損ねたのではないか・・・・しかし、それらは私個人の動揺に過ぎないのだ。こういうシーンを最近の自分は多く経験している。そして、対処方法を見つけている。そう、それは「切り離す」ことだ。
私は切り離した。
そして、私の仕事を遂行した。私は彼女がオーダーしてきている「その協力すべき相手との交渉をどう進めたら良いか?」について、プロとして助言をする、に徹するのみだ。
彼女はしばらく動揺していたが、静かに、深呼吸した。
「・・・中立なんて、考えもしていなかった・・・。味方になることがいいことだと思っていた」と声を絞り出した。
その感情は何のためのものか?
後日、彼女から連絡があった。
難局だと思っていた相手方との交渉がうまくいったという嬉しい報告だった。
「中立だよ、って言われてびっくりしてショックで、そして、恥ずかしかった。でも交渉の場に行くまでに自分の立場をリセットできた。そして、交渉の場でも落ち着いて意見を聞くことができた。結果的に双方にとってとても有意義な話し合いになったんです」
彼女は今まで「私」と「公」の感情の区別がついていなかった。プライベートならば「こうしてあげたい!」「これでいいはず!」で構わないのだ。しかし、報酬をいただいて「仕事」として行動するからには、「自分は何を遂行するポジションなのか?」をストイックに見つけて認識する責任がある。
仕事における「感情」を自分で見つめる
かくいう私は「怒りんぼ」だ。数年前に受け入れた(笑)。
受け入れるのに時間がかかった。なぜなら、みっともない気がしたからだ。しかし「いい仕事をするためには受け入れる必要がある」とある時思ったのだ。
受け入れてからは、「怒りんぼの自分」を内的には爆発させつつも、一旦それを脇に置き、
「さあ、仕事をするか」
と、切り替えて臨む。
”cool head and warm heart”である。
自分は今何をなすべきか?をクールに整理して、それを遂行するのだ。
そこに自分の個人的感情が流入してきそうになったり、
かき乱しそうになったら、
私はそれらを風呂敷に包んで「よいしょ」と傍におく。
怒りんぼでも、泣き虫でも、人情家でも、良いのだ。
個人としての自分はどんな感情の持ち主なのかを見つめて、認識した上で、「今目の前にあるこの仕事にベストを尽くすためには、その感情は必要か?」と冷静に考えて対応できればいいのだから。
大坂選手のコメントは、まさに私にとって名言だった。